もし僕に娘がいたら、 「モテない男には近づいてはいけない」 と教えると思う。

 もし僕に娘がいたら、
「モテない男には近づいてはいけない」
 と教えると思う。偏見ではなく、経験上。

「モテる」の定義に語弊があるとまずいから釘を刺すけど、沢山の女の子と浮名を流すというような事じゃない。ただ、相手の前で卑屈にも尊大にもならず、健全な関係を築けること。フラットに穏やかに、楽しく時間を共有できるスキルは必要なので、一定の「女慣れ」は必須。ザックリいってしまえば、「余裕」と言われるもの。

 モテない男、というか、余裕のない男が取りがちな心理的行動は2種類あると思う。「過剰な神聖化」か「ミソジニー」。誰もがただの人だから、そういう行動言動扱い方は、どっちにしても、その相手を傷つける。先に「経験上」と言ったのは、過去、僕自身がそのような男だったから。この手合いは、強く相手の愛情や優しさと承認を求め、しかし自分から与えることはできない。ただただ奪うだけ。

 優しさや憐れみから彼に接したとしても、恐ろしい勢いで愛情や優しさのリソースを奪い、感謝どころか牙を剥く。優しい言葉をかければ「信じられない!」噛みつかれ、「わかるよ」と寄り添えば「俺の辛さがわかってたまるか!」と、言葉のナイフで斬りつけられる。要は、甘えているだけなんだけど、やられる方はたまったもんじゃない。
 優しくされた経験、受け入れられた経験に乏しく、このような仕上がりになってしまう男は沢山いる。かつての僕のように。

 そのしんどみは、痛いほどわかる。かつて自分自身がそうだったから。でも、自分が被害者ではなく加害者になっていること、傷つけられているのではなく、相手を傷つけていること、男とか女とかでなく、人間同士としてお互いを信じるマインドがないと、その先に進めないことに気づかない限り、与える側のどんな愛も優しさも徒労に終わるばかりか、愛ではない依存によって、与えてくれた相手を脅かす存在にしかならない。

 そういう男が幸せになる第一歩は、自分の中の「歪んだ鏡」を粉々に砕くこと。
 人間同士として向き合うことが出来ていないうちは、相手を変えたところで同じことの繰り返しになる。自分で気づいて自分で変わる、変えていくことがまず必要。そうすることで、一方的に愛や承認を貪るモノとしてではなく、尊重すべき他者として相手を見られるようになると、思っていたほど世界は冷たくできていない事に気づくはず。

「誰でもいい」という訳ではないでしょう?
「いや、オレは誰でもいい!」というなら、残念だけれどまだこの先の段階には至れない。
 だって相手にとっては、「あなただから」選ばれた存在ではないんだもの。十把一からげの存在として扱われることに耐えられないことは、自分自身がよくわかっているはず。まずは広く浅くフラットに、男とか女とかではなく、沢山の人と交流してみる。そうすることで、仲良くなれる人はできてくるはず。
 仲を深めて、相手の気持ちをよく観察して、自分の気持ちと向き合って、そうしてその全てが「カチッ」と嵌ったとき、初めて次のステージの扉が開く。

 恋でもそれ以外でも、仲良しの誰かができて、「奪う・奪い合う」のではなく、シェアできる関係を築けたなら、もうモテない男ではない。「愛する為のリソース」が、多少なりと自分自身にできた時、初めて他の誰かと愛情をシェアことができる。

「ない」から渇望する。でも、自分自身もそれを持っていないと、シェアするための原資がない。だから、最初はメチャクチャ辛い。その辛さは、僕もリアルにわかる。自分自身がそこにいたから。でも、そこに至る道は、自分が作り出した恐怖と狂気、それを生み出した歪んだ鏡を、粉々に砕き、自分と世界をちゃんと見直すこと。そこから、様々な人たちにまず与えることで、どんどんリソースは増えていく。古くから言われていることだけれど、愛情やリスペクトは「与えると増える」ものだから。

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