信号を渡れば芸大というところまで、僕達は来た。
「あのさ……」
きゅ。
何か言おうと開いた口が紡いだ中途半端な言葉を遮るように、トーコの小さな手が僕の小指を包み込む。
北入口からのびるなだらかなスロープを上り、ギャラリー棟を左手に、西門から校内に入る。大道具室の裏手で、トーコは足を止めた。
「ありがと。もう、いいや」
「……」
トーコは、多分、これで消える。彼女の『本体』は既にこの世界には存在しない。なにより彼女自身、本来は存在しないほうが良い存在だ。けれど、だからといって割り切れるものではない。ホンのかすかなものであったとはいえ、僕とトーコには、縁ができてしまったのだから。
「そんな顔しないの」
「ああ……」
「野宮ちゃん、アナタもありがとうね。……って、声聞こえないか。よし」
トーコは僕の手を改めて掴み直すと、ヤシカのレンズのそば(と思われる位置)ギリギリまで引き連れ、僕のTシャツの胸倉をぐいと掴むと、顔を寄せてきた。
――――なぁぁぁぁぁぁ!!
野宮の雄々しい雄叫びが、遠くから聞こえる。トーコは僕を開放し、レンズの方角からぐいと『何か』を掴み、『こちら側』に引き込んだ。
「いたた……え? 此処は……」
「初めまして、野宮さん。撮影お疲れ様でした」
スピーディに状況を把握した野宮が答える。
「初めまして……じゃないよ、塔子おばさま」
「あら? 気づいていたの?」
「うん、昨日の夜、ね。『若宮』って、塔子おばさまの旧姓だったよね。気づくのがちょっと遅かったけど」
「結衣ちゃん、よく思い出したわね」
「どうして? こうして私も『コッチ側』に来られるなら、もっと早く来て、私だって塔子おばさまと話がしたかった」
「あら、だって、デートの邪魔をされたくなかったんだもの」
「星野のおじさまに言いつけちゃおうかな」
「やーだー。あの人めんどくさいからやめて。結婚してからずっとあの人のお守りしてきたんだから、もういい加減開放されたいわ」
姉妹のような、気のおけない友人のような野宮とトーコの話を、僕は温かい気持ちで聴いていた。ふと、野宮は黙りこみ、静寂を作ると、ぽつり、と一言、トーコに問いかけた。